なんとな~くしあわせ?の日記

「そしてそれゆえ、知識そのものが力である」 (Nam et ipsa scientia potestas est.) 〜 フランシス・ベーコン

2000年代ネット裏事情

表題どおり…
まだ2ちゃんが無かった頃、あめぞうとかがメインだった時代。その頃の資料が残っているサイトを見つけた。
歴史資料館

基本的には個人のホームページや掲示板での書き込みをまとめたものらしい。このサイトの成立については以下に記述がある。(なんとエンコーディング指定がない!)
#tsu ‘S‹L˜^

サイトの中身は、その時代を体験していない異邦人から見ると、ほとんど意味不明である。このテキストを蒐集した人は、これに楽しみと意義を見出していたのかもしれないが私にはわからなかった。(Perlやproxyを使った荒らしの方法など書いていればまだ興味が湧いたかもしれないが、そういうものもなかった。)
しかし、以下の文章は当時の様子がわかり面白いので引用する。ログそのものより解説文の方に興味がわく。

ログそのものの展示に至る前に、2000年頃のネット事情に触れておこう。

どのようなIRCチャンネルにせよ、多かれ少なかれ外部の基盤が無ければ成立し得ない。#tsuの場合の基盤とは、2000年当時の、日本語インターネット上の「アンダーグラウンド(UG)」と呼ばれる場だった。ただ、2000年2月に我が国で不正アクセス法が成立し、それによってコンピュータへの不正侵入行為の違法性は明確となったので、その時点から不正侵入に関する情報を流布していたサイトはセキュリティの美名を背負う形へ方向転換しており、#tsu開設時の2000年4月には、既にその趨勢は事情に聡い者にとっては明らかだった。しかしながらこと#tsuに関しては、不正アクセスに至るほどの重大な行為への関心というよりは、UG(この単語自体がある種の魅力を持ったらしい)の備えるスタイル、雰囲気、風俗に対して関心を持ち、軽薄な憧れを抱いた者達がその主体となったといえる。そして、その象徴となったのが、匿名性を増すための公開プロクシサーバー("串")の使用や、ホームページに設置する手軽なインタラクティブコンテンツである掲示板を操り、時には破壊するための、スクリプト言語PerlリテラシーとCGI、そしてUnixの知識だった。とは言え、海外で所謂"script kiddie"という語は、我が国では該当物が存在しない。なぜならば掲示板が存在したからであり、WWWサーバ自体ではなく、特定ユーザのアカウントと、その掲示板への影響力の行使が、その社会の文脈でのコミュニケーション単位として十分な意味を持つ、シンボリックな行為として成立し得たからである。小さく軽い物を愛する日本人の精神はここでも生きており、戦争も宥和も全てがこの掲示板上で起こった。掲示板を破壊する行為は「荒らし」と呼称される。日本におけるアンダーグラウンド、いやむしろそこから変異していったネット固有のUGと自称する矮小な社会の出来事の大半は、所詮コップの中の嵐であった。

掲示板は、スクリプト言語Perlで書かれ、CGI(Common Gateway Interface)としてWWWサーバに設置された。ドットコムバブル崩壊前夜の当時、無料でアカウントを獲得でき、CGIの設置をも許しているサーバは多数に上っていた。CGIやSSIに許可された機能として、訪問者のIPアドレスを取得する手段があり、それを誤魔化すためにWWWサーバとローカルマシンの間を中継する公開プロクシサーバが当たり前のように使用された。何ら不正な行為を行っていないにもかかわらず、それ自身不正な行為である、公開プロクシサーバ使用によって匿名性を増したいという根拠のない強迫観念が当時のUGを支配していた。この点、英語圏のIRCネットワークならば、同国人ばかりが来る訳でもないためにIPアドレスの露出への関心は薄く、またセキュリティ上の理由から露出が好ましくないときは金を払って自前の中継用アカウントを取得すれば済むので、我が国に見られる、常時(FTP接続時を含む)公開プロクシサーバの背後にいたいという欲求は、いささか特殊に見える。WingateやSOCKS経由のIRCも可能ではあるが、今日ではそれを許可するサーバは乏しい。海外でWWW用公開プロクシサーバが専ら使用される場合というのは、WWW上の有料コンテンツを不正に取得する行為の準備を行う場合か、あるいは国家による検閲の厳しい地域から他国のコンテンツへのアクセスを求める場合に限られているように思われる。いずれにせよ、公開プロクシサーバ(俗称"串")は、我が国のUGにとって無くてはならない日用生活品であった。

そうなると、次の展開は容易に予想できる。単なる順列組み合わせである。公開プロクシサーバを使用する者らの行為から設置者を守るための掲示板スクリプトと、公開プロクシサーバに関する情報を得るための場(つまり実際に設置された掲示板)があれば、この単純なエコシステムは完結する。前者は、「カール」という人物がminibbsという一般的な掲示板スクリプトを改造して公開プロクシ規制や連続書込規制を追加した所謂「カール掲示板」であり、後者は、公開プロクシサーバ関係のソフトウェアを配布していた「dimdim」という人物がカール掲示板を改造した「device null掲示板」などを使用して生まれてきた、公開プロクシサーバを告知し共有するための各種掲示板(「proxy store」「proxy diary」などが存在した)であった。さらには、公開プロクシサーバや無料サーバを悪用しつつ掲示板に影響力を行使する、「荒らし」の技術も、このエコシステム("UGシステム")に依りながら存在していた。この文化は1995年から2000年にかけて我が国におけるインターネットの成長と共に成熟し、#tsuはまさにその爛熟期に生まれたと言える。掲示板に加えられる攻撃の対策は画像コードをもたらし、また串掲示板があちこちに乱立した。こうした資源が防御のための盾であったとすれば、攻撃するための矛も存在する。掲示板攻撃用PerlスクリプトCGIも、「アリス・リデル」という人物が付けた「フェイザー」という名称で広く流布していた。今では見る影もない一空間が、世紀末の日本語インターネットに築かれていたのである。#tsuも、このシステムの数限りない産物群の末席に連なるものであったことは間違いない。または、このシステムへの寄生形態の一種であったと言うべきか。

感想

今は無きもの…う〜む
このへんの文化って少なからず日本の創作やらオタク文化に影響しているように思う
今それを表現したとしたら現実と乖離しておもしろくないかもしれない